【ことば解説】第二弾です。
工学の世界では昔から使われていた言葉ですが、最近生物化学の分野でも聞かれるようになってきた言葉、「MEMS(メムス)」をご紹介します。
あまり耳慣れない言葉かもしれませんが、わたしたちの日常生活に非常に密接に関わっているんです。
なぜ工学用語の「MEMS」が最近生物分野でも聞かれるようになってきたのか?その背景も合わせながらご紹介していきたいと思います。
MEMSってなんの略?
MEMSとは、Micro Electro Mechanical Systemの略です。
直訳するととっても「小さい電気的機械システム」ということ。
私たちの身近にある自動車やインクジェットプリンタ、スマホなどにはマイクロメートル(1 ㎜の1/1000)、ナノメートル(1 ㎜の1/100万)というとても小さいサイズの構造を持っている部品があります。
このような小さいサイズの部品作りを可能にしている根底には、半導体集積回路技術に基づくMEMSがあります。
MEMSのかんたんな歴史
MEMS技術の起源は1950年代後半、配線や抵抗、コンデンサなどをシリコン基盤の上にのせた集積回路(IC: Integrated Circuit)が始まりだと言われています。
SuicaなどのことをICカードと言うように、私たちの生活にかなり身近なものになっていますね。
この集積回路の技術は、シリコンや金属材料のマイクロメートル、ナノメートルレベルの加工技術の発展とともに私たちの生活にすごく近い存在になってきてきます。
1970年代以降、電気回路だけに止まらず、機械を動かす機構を含めてチップ化する技術の開発が進んで、機械的な変位や変形を電気的に読み出すことができるようになりました。
それまで、数センチメートル以上の大きさだったセンサーやアクチュエーターが、数ミリメートル角のチップの上に収まるようになりました。
このような技術革新の経緯を経て、1970年代には、プリンターのヘッド、圧力センサーや加速度センサーなどの開発や商品化に繋がっていきました。
現在では、携帯電話や自動車、医療機器などのあらゆる電子製品に、MEMSが使われています。
MEMSの新しい展開
電気工学的なICと機械的な要素の組み合わせてによって、「電気+機械」Micro Electro Mechanical System(MEMS)という言葉が生まれました。
最近では「電気+機械」だけではなく、ミリメートル・ナノメートルレベルの加工技術を含んだ広い範囲で「MEMS」という言葉が使われるようになってきています。
この「MEMS」、1990年ごろからライフサイエンス(生命科学)分野への応用が試みられてきているのです。
MEMS×ライフサイエンス
MEMSとライフサイエンスの融合(μTASの誕生)
1990年にManzらが「Micro Total Analysis System(μTAS:マイクロタス)」という概念を提唱しました。
μTASとは、分子の反応や合成、検出などを1つの数センチメートル角のチップ上でやってしまおう!そしたら、試料や試薬を節約できるし、反応・検出時間を短くできるし一挙両得ではないか!という考え方です。
MEMSが対象にしてきたシリコンや金属などの無機物質だけではなく、ポリマーやガラス素材をマイクロメートル単位で加工できるようになってきたのがμTASの提唱に繋がりました。
ICは電気を流すために細かい金属加工が施されていますが、μTASでは分子などを通すために細かいポリマーやガラス素材を電線のように細い管(マイクロ流路)をチップの上に配置します。
このように流路が透明になり中が見られるようになったことで、μTASが大きく発展してきました。
μTAS以外にもMEMSで培われてきた電気機械的な技術も、ライフサイエンスの解析の幅を広げるのに多いに役に立っています。
例えば、微量の液体を操作するための技術(Microfluidics:マイクロフルイディクス)はセルソーターや電気泳動チップなど研究者にとって身近な機器に使われています。
MEMSを使った単一細胞解析時代の幕開け
2000年代に入ると、μTASの技術がさらに高度になって複数の試料を同時に並列に処理する大規模アレイ化や溶液操作の自動化が進みました。
これに伴って今まで液体(溶媒)操作がメインだったのが、細胞や組織をチップ上で培養する細胞生物学的な研究にもμTASが使われるようになってきました。
ここでのポイントは、マイクロ流路と細胞(組織)がほぼ同等の大きさ(数マイクロメートルから数ミリメートル)であることから、一つの細胞もしくは細胞の一部に対する刺激応答を検出できるようになったことです。
チップ上で培養することにより、生体内の物理的(圧力、張力)、生化学的(成長因子、細胞間相互作用)な微小環境を模倣することができるようになりました。
培養ディッシュの上に接着または浮遊させていては見られない細胞の機能は確認できるようになっています。
Organ-on-a-Chipという考え方
2010年ごろからはさまざまな種類の臓器の細胞をチップ上で培養することで、生体内の微小環境を模倣しようというOrgan-on-a-Chipという試みが広がってきました。
Organ-on-a-Chipの代名詞が、ハーバード大学Ingberらの研究グループが開発したLung-on-a-chipです。
収縮するシリコンゴムの流路を作ります。
流路の真ん中に多孔質膜を置き、膜の上側に肺胞上皮細胞と下側に血管内皮細胞を培養します。
流路の上部分(肺胞上皮側)には空気を、下部分(血管内皮側)には培養液を流すことによって肺胞上皮モデルを作り出しました。
この流路では内部の圧力を特定の周期で変えて、多孔質膜を伸展・収縮させることにより呼吸に伴う肺胞の収縮運動を模倣することができます。
Ingberらはこのディバイスを用いて、肺胞上皮が細菌に暴露されると血管内皮細胞がインテグリンリガンド(ICAM-1)をたくさん発現するという炎症反応を再現できました。
また近年では複数の臓器細胞を培養して流路を直列に繋ぐことで、臓器間相互作用を再現する試み(Body-on-a-chip)も広がってきています。
Organ-on-a-chipを使った未来
幹細胞を使ったOrgan-on-a-Chip
Organ-on-a-Chipはこれまでは株化された細胞や初代培養細胞を用いて開発が進められてきました。
ES細胞やiPS細胞などの幹細胞から様々な組織に分化誘導した細胞を用いることで、生体内の生理活性を模倣しようという試みが始められています。
Organ-on-a-ChipはMicrophysiological System(MPS)と呼ばれるようになってきています。
日本を中心に技術開発されてきたMEMSとiPS細胞を用いたMPSの開発は、将来の再生医療や創薬応用に重要な基盤技術になることが期待されています。
Body-on-a-Chipを使った創薬開発
複数の臓器や組織を直列の流路につなぐBody-on-a-Chipは、さまざまな薬物投薬経路を調べるのに有用だとされています。
新しく開発した薬が
- 呼吸に影響するのか?
- どんな組織・器官に分布するのか?
- どのように排泄されるのか?
- どうやって代謝される(分解される)のか?
を解析して、薬が体の中でどのように働くかを一つのチップの上で観察することができます。
今まで動物実験で薬の効果を確かめてきましたが、Body-on-a-Chipの技術が進んでいけば動物実験の代替法として取り入れられていく可能性は非常に高いです。
Body-on-a-Chipは小さい人体を作るという意義だけではなくて、今まで観察ができなかった臓器間でリアルタイムで起こる相互作用を見ることができるという意味でもこれから活用されていくと思われます。
生き物は様々な臓器や組織が集まって一つの個体を形成しています。
どういう有機的な繋がりがるのか、これからどんどん解明されていくのではないかと思います。